愛情と躾

次男の終業記念カードにあった。おおきくなったら、おとうさんみたいなひとになりたい。 #send2gp #tokiboys2

とにかく、無事に保護されてよかったですね。

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体裁を気にしている雰囲気のあったご両親にいくつか疑問点はありつつも、親なんてものはいつだって完璧から程遠い存在なのだなと思う自分は、きっと今自分もこうして親になったからであり、中には不条理で無慈悲な親もいるでしょうが、誰が悪いのかよくわかないなと思うワケですけど、やっぱり親が悪いですね。そして、親もそれを自覚してるんですね。

そんな折、先日40歳の誕生日を迎えまして、毎年、父や家族からお祝いのメールが来るのですが、今年の父からのメールは少し違った内容でした。

おとうさんより、誕生日おめでとう。

思えばですが、今のおまえの歳の頃、丁度アメリカから帰国する、そのあたりのタイミングだったでしょうか。当時のおとうさんというのは、今でも反省&反省なのですが、常時戦闘モードで、仕事でも私生活でも、時に不必要なほどに、闘い続けていたように思います。アメリカ滞在中は、子どもたち、まだ幼児だっ{三男弟}はともかくとして、いずれ日本への帰国時にハードタイムが待っている{次男弟}とおまえ、とりわけ即受験という途方もない大きな試練と直面することになるおまえには、特に厳しく、いや時に厳し過ぎるほどに追い詰めてしまったこと、長らくおとうさんの心の底に淀む痛みでもありました。そんなおとうさんの痛みよりはるかにはるかに大きなペインをおまえに与えてしまったこと、今頃になってというのは too late ですが、本当に申し訳なく思っています。

ごめんね!

その分・・・かどうかは別として、おまえがすばらしくやさしく&頼れるとーちゃんになってくれていること、ただただ感謝です。いつも思うことですが、パパとして&人として、100歩及びません。立派だと思います。このまままっすぐ、歩いて行って欲しいと思います。

当時の自分がこれを読んで「こめんね!やあるかい!」と言っていただろうなと思わなくもないですけど、子どもというものは、特に男は親父を超えることを人生の目標としているところがあり、厳しい父でしたが、恨んだりもしましたが、その背中は大きく、そして目標でした。本音を言えば、自分のライフプランをまったく考慮してもらえなくて、いわゆる教育とか学歴的にドロップアウトしてしまったことについてはつい最近まで父を許せていませんでした。(まぁ、貴様がちゃんと日本語の勉強しとけばよかったんじゃね?という話でもあります)しかし、それはどこか自分が父を超えられずにいたことだったり、自分の弱さに対する苦悶であり、今となってはなんとも思っていないというか、そんな記憶も正直このメールを見るまで忘れていたのですが、子どもなんてものはそんなものです。

そして、自分が親としてそんなにストイックな子育てをしているかというと、よくわかりません。ただ、一緒になってアホみたいに遊んでます。どれくらい一緒に遊んでるか?っつーと説明できないです。とにかく週末はいつも一緒に外で遊んでます。思い返してみると前述のメールにもあるように、自分の父が自分と遊んでくれるということはほとんどありませんでした。昭和の時代の神格化した父親像をそのまま地で生きていたような人でした。手も出るし足も出るし、殴られて青タンはできるし…

それが日本に帰ってきてしばらくしてから、父が突然失明したときから父が弱っていきました。たぶん、もう戦えないって悟ったんでしょうね。合理性を重視する人なので必然的に「どうやったら戦わずに生き残れるか」を探ったんでしょう。まだ自立できていない子どもたちを3人抱えたまま仕事を辞めるという父。生きた心地しなかったでしょう。

そして今日の自分。気が付けば父と同じように戦っていました。きっと戦う姿を見ていたからでしょう。あんなに嫌って憎んでいた父と同じことをしているのです。これは遺伝でしょうか?

ヤバイ。泥団子免許皆伝したかも #光が丘公園 #プレーパーク #asobikko

今親となってみて、自分の子どもたちに将来同じように人生ハードモード^1で戦えとは言えないです。もっと楽な生き方はいくらでもありそうだし…だから土日は徹底的に子どもたちと遊んでいます。

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