4年目の光が丘プレーパークとコミュニティ

今年度から関わって4年目の光が丘プレーパークが始まります。

光が丘プレーパーク | NPO法人あそびっこネットワーク

SNSなどで僕とつながっている方は多分、度々「プレーパーク」という言葉を見てきたかと思います。改めて簡単に説明しておくと、プレーパークとは冒険遊び場と呼ばれているものです。

冒険遊び場(ぼうけんあそびば、The Adventure Playground、der Abenteuerspielplatz)は、子供の遊び場の中でもより年長の子供たちにやや冒険的で、多少の危険の伴う体験的で、自分たちで遊びの内容を構築していく可能性のある遊び場のことをいう。プレーパークという名称で、日本国内でいくつか誕生している遊び場も、こうしたものの一つと考えてもよい。遊び方が、遊具や施設の形態で既に規定されているようなものと違い、遊び方の可能性が豊かで、子供の空想や創造性、身体の運動性を刺激するようなもの、また遊び仲間の集団が自然発生的にかたちづくられたり、自然や動物とのふれあいの機会も用意されていたりと、冒険遊び場のスタイルにはかなりのバラエティがあって、なかなか一括して語ることは難しいものがある。

冒険遊び場 - Wikipedia より引用

特徴は似ていてもプレーパークによって個性が出るところは恐らくそのプレーパークが持つコミュニティの特色が出るのではないかと思います。しかし、依然としてプレーパークの認知と理解、また光が丘プレーパークという場所に対する認知が思うほど進んでおらず、そんな状態であるのに13年もの歴史のある老舗のプレーパークです。僕は運営団体と関わりはじめて4年目になります。そんな折に、ちょっと1年を振り返りましょうということで、新任のプレイワーカーとの顔合わせと一緒に行う、割りと恒例行事な打ち合わせを行いました。

僕の子供の頃のコミュニティ体験

僕が改めて自分の子どもたちに体験して欲しいこととして、自身の幼児期に体験していたものがありました。それは長屋とかご近所コミュニティでした。自分の親の実家(本家)は山口県柳井市で食料品や生活雑貨を扱う商店をやっていました。建物は長屋で築200年の長屋をどこかから建物だけを買って山口県柳井市に移築したというものでした。(残念ながら今はシロアリにやられてしまい取り壊す話をしています)お店の入り口のある大通り側の玄関と、裏通りに抜ける勝手口が一直線で家全体を貫通している造りで、ほとんど施錠することなくご近所のおじさんやおばさんが次から次へと顔を見せにくる家でした。勿論、その折に

おばあちゃん、豆腐ある?

と、夕飯で使う食料品を買っていってくれたり、スーパー人情店として地元に長らく愛されてました。残念ながらおばあちゃん(享年100歳くらい?)もいなくなり、お店としての機能も今はなくなってしまいましたが、子どもの頃に夏休みに田舎に帰るのが楽しみだった理由はここに行くことでした。従兄弟たちとも仲良くみんなで厳か?ながら自分たちの地元で話題の遊びの情報共有をして、ときに実践して見せて、とか、とにかく楽しかった。ばあちゃんのお店だったのでそりゃもう好き勝手にお菓子食べ放題でジュース飲み放題でまさにそこは子どもの天国といっても過言ではない世界でした。まぁ、なんか悪いことしたら怒られるけど、基本的にどんな遊びをしてもほとんど怒られることはありませんでした。

あるとき、近所の家の玄関にツバメの巣を見つけた僕は、何も考えず「雛を育ててみたい」と思い、脚立を持ってきて巣を持ち帰ってしまいました。爺ちゃんに酷く怒られました。爺ちゃんはなぜこんなことをしてはいけないのか?を(なんでか忘れちゃったけど)丁寧に説明してくれました。結果として巣を取ってしまったので、戻しても親鳥が雛を育ててくれない、もしくは殺してしまうかもしれないので、育てることになりましたが、多分、子どもの自分だけのノウハウでは死なせていたことでしょう。爺ちゃんのノウハウのおかげで無事に巣立ちまで見送ることができました。できたけど結構大変だったのでもう二度と鳥の巣を取ったりしないと心に誓ったのでした…(その節はツバメさん本当にごめんなさい)

光が丘プレーパークの魅力

さて、時は流れてあれから30年近くたち、気がつけば自分も二児の父となり、わんぱくBoysと休みの日は光が丘プレーパークで遊び倒しているワケなのですが、光が丘プレーパークの魅力はまさに僕が子どものころにいたあの商店とご近所コミュニティと同じだなと思ったのですね。そして運営を少しだけ手伝ってみたら結構大変だけどかなり楽しいというかもう辞められないんですねこれ。団体から見れば慢性的な赤字で本当に頭が痛いと思うし、それを知りながらどうにかしてこの光が丘プレーパークというコミュニティを維持したいというwillをマイルストーンとして共有することで成立しています。

そうして光が丘プレーパークと関わり、3年が過ぎ4年目になり、誰より多分自分が楽しんでいたんだと思いますが、そう写っていてよかったなと思ったのが今年度から僕と同じ光が丘プレーパークサポーターとして5人も加わっていただけることになり、早くもワクワクが止まりません。

そこで改めて僕達サポーターとしてこの光が丘プレーパークの魅力は何か?サポーターたちはどんなwillをもって活動しているのか?を考えさせていただく機会をもらい。なんでだろう?と思ったら自分の幼児体験があったというところなんですね。

長屋コミュニティ的な場所で子どもが育つメリット

聞いた話ではそういったコミュニティで育った人間は社会人として成功するケースが多いって誰かから聞いたよ、みたいな話になりました。恐らく、こういったコミュニティに一度でも所属した経験があると、恐らく他では見れないような団結力であったり、支え合うシーンであったり、みたいなものを見ていると思います。そういったことを知っている人は恐らく社会人になってからも自身が所属する会社や組織の中で似たようなコミュニティを作ってタスク消化したほうが情報共有やコミュニケーションコストが下がって効率化されるということを本能的に察知し、そのように行動するからなのではないか?と思いました。なお、本当かどうかはわかりません。

情報会議との関わり

elevenninesに入社し自分がやろうとしたことは社内の情報共有を促進することでした。具体的になぜこれがそんなに必要なのか?というところの言語化は恥ずかしながら自身の不徳の致すところではありますが、僕自身が自社内でそういったコミュニティ形成を行うことでお互いを敬い、助け合い、支え合う文化形成を行うことで社内課題を解決するためのタスクをどんどん消化していくような仕組みになるはずだと信じていたからです。

まとめ

みたいなことを最近再確認をして、今自分が会社である程度影響力のある立場となり、今の自分の行動に駆り立てているものは何か?ということを思い返す機会をいただき、改めてちゃんと思い返してみるとまさか自分の幼児体験が元になっていたのか!という発見にびっくりしています。何もかもに当てはまることではないとは思いますが、それをある程度汲んでいただき、行動を共にしてくださる皆様に改めて感謝するというところです。重ねてお礼申し上げます。

ということで、そんじゃまた。

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