ときさんのドアは開いている

The team

社内コミュニケーションで色々と課題があり、こういった内容のPoemをQiita:Teamに投下してみたら意外とウケたでござる。

エピローグ

僕が船の仕事をしていた7年ほど前の話である。当時、僕の仕事は多岐にわたり、船舶貸渡業の中で営業、実務、法務、管理、経理/ファイナンス等、フルコミットする中で「船舶の管理」を任されていた時の話。僕は所有船舶の管理のため度々世界を飛び回り、船の状態を確認し、必要に応じて修理したり、修理に要する部品調達やメーカーのサービスエンジニアを手配したりなどしていた。長い時は半年間船に乗ったままだった。そんな頃に船長とのコミュニケーションから今の会社で働くようになってからの気付きである。

Capt. Kulurとの出会い

Kulurというおっさんがいた。彼はインド人の船長。当時僕は29歳、Kulurは52歳。彼との出会いは長崎県にある某造船所だった。僕の会社が大手船会社から発注船をオフバランス案件(大手船会社が竣工後に僕の会社に転売し、僕の会社は香港に現地法人を作ってそこに登記することによりた課税リスクを回避するという今流行のタックスヘイブン案件)として買い取ったので、僕は建造監督で某造船所に常駐していた。いよいよ船の試運転をすることになる1週間前から本戦に乗船する船員の中の上官クラスが参加して、試運転で本船のサービススペックを満たすパフォーマンスが出ているか?を検証するのだ。僕はまだ駆け出しの海運マンだったので船を知らなかった。でも、やすやすと「船がわからないんだ。だから教えてくれ」とも言えない微妙な位置だった。そんな時にKulurと出会った。

試運転、竣工も終わり大海原へ

造船所で過ごした期間は約6ヶ月。その中で船員達と苦楽を共にしたのは約1ヶ月だった。僕は本船の処女航海に6ヶ月間の乗船研修をすることになった。それまでは某造船所から山口県の自宅まで片道6時間かけて週末だけ戻ったりしていたのだが、まだ当時新婚だった嫁はかなり反対した。しかし、一刻も早く船を知り、仕事を覚える必要があった。某造船所では本船の竣工セレモニーが派手に行われる。地元の近所の住民を無料で招待して、粗品まで配って本船の門出を祝って貰うのだ。嫁の希望としては、その「派手に祝う人」であってほしかっただろう。しかし、僕は反対の「祝ってもらう側」つまり乗船していたのだった。

インド人

Kulurだけじゃなかったが、インド人はとにかく頑固だ。プライドも自尊心も承認欲求も高く、まるでスター・トレッククリンゴン人といるみたいだった。乗船研修となっていたが、実質的に彼らの雇用主である僕は「オーナー様」という腫れ物として扱われることになる。

レジェンド

船に乗っていると、かつて船に乗って手腕を振るっていたレジェンド的な船長とか機関長の話が出てくる。船を知らない僕にKulurは毎晩、本当に休みなく毎晩、船長室に僕を招待して教えてくれた。僕はアルコールに負けそうになりながらも毎日彼とのやりとりを記録して会社にメールしていた。後でこのデータが宝になるのだが、その話は今回はしない。しかし、Kulurはとにかく語った。

あの伝説の船長はこんな時にこんなことをして難を逃れたんだ!

と鼻息荒く(ウォッカも回り)熱弁を振るう。そして突然思い出したかのように

そうだ!あの時一緒に伝説の船長と同じ船にボースン(Bos'n、Boatswain)も乗っていたはずだ!今ここに読んで直接話を聞こう!

と内線で夜中にBos'nを叩き起こすのだった。Bos'nは嫌な顔ひとつせず

あの時は酷い嵐だった…

とまるで寝る前の子供に物語を語るかのように話を始めたのだった。

海の人、丘の人

Kulurや船員といると船に乗るのを辞めて、管理職になった元船員(ほとんどが元船長、元機関長)を「丘の人」と呼んでいた。あまり良い意味では無い。

もう、彼らとは昔のように話が出来ない/通じない

そんな残念なニュアンスだ。(元レジェンドは別) 船にいると度々こう言われた。

あなたは残念な「丘の人」にならないでほしい

それはなんとなく、20代でコードを書いていた人が30代になってマネージャーになり、もうコードを書かなくなった残念な人というアレにも似ている。だが、彼らの想いはマネージャーが残念なのではなく、彼らの働きを見て、評価してもらえなくなることが残念なのだ。結局僕は辞める最後まで1年の内6ヶ月間は船にいた。そうすることで仕事がスムーズに進む事が多かったからだ。今思えば、これは「手を動かずPM」みたいなものだったと…

俺の部屋のドアは開いている

Kulurの常套句だった。意味としては船長のプライベート空間でもある船長室を開放しているので、遠慮無く相談に来てくれというものだ。当時、僕も若かったので「へぇ、そんなオープンな上司がいたらいいよなぁ」くらいにしか思っていなかった。この歳になってからわかったという恥ずかしいアレなのだが、Kulurが下官に「いつでも相談しろよ!ドアは開いてるぜ!」と言っても、人によってはただの脅迫にしかなっていなくて、誰が好き好んで行くかよって思われていた感じはある。

Kulurに人望や信頼があったか?という問題もある。特にインド社会はカーストが色濃く残っていて、Kulurはその上位の身分だ。というかそういった教育を受けられる家に生まれたということは生まれながらにして「勝ち組」ということであり、23名という小さな船(とはいえ全長200mもある)の中でインドカーストの縮図がそのまま再現されていた。

結果的に船長(Kulur)に何かが起こる前に相談されることなどほとんどなく、何かが起こってからKulurが処理をして、Kulurがキレるということをしていた。つまり全く機能していなかったということだ。

レクリエーションとコミュニケーション

インドは映画大国でもある。上下関係が厳しいという社会的性質を持ちながらも「娯楽」に対するこだわりは凄いものがあった。映画、音楽、踊り、どれもエキゾチックで日本人の僕には新鮮だった。そして美味い食事、酒、好きな音楽があれば彼らは頼まなくても踊り始める。僕も見よう見まねで一緒に踊った。

僕は季節ごとのイベントを船内で企画した。10月はインドの旧正月(Diwali)があるからパーティをしよう!とか。そういった文化的なこととか習慣的なこととかをとにかくKulurから沢山教えてもらった。そういったことを繰り返している内に、下官たちもだんだんと「オーナー様」から「ときさん」という扱いに変わっていった。こうして「どんな場所でもぐいぐい切り込んでいく」ということを覚えた。

ときさんのドアは開いている

時々「社会の窓」も開いている。Kulurのドアの問題、実は社内でも起こっている。ときさんのドアは開いている。でも、ときさんのドアが開いているだけではまったく意味が無い。だから「ぐいぐい切り込んでいる」のだ。しかし、このやり方は万人にとって良いとされているワケではないので、人によって受け取り方は違うのだ。

万人に対して良いやり方など無い。僕はぐいぐい切り込んでいくことでメンバーの「当たり」を探っているのだ。なので「ときさんはメンバーのドアの鍵を探している」のだ。そうすることでメンバーと話がしたい。もっとコミュニケーションを取りたい。そう思っている。

社内コミュニケーションレベルを上げるメリット

それはメンバーの成長であり、行き着く先は会社のメリットにもなる。当然、プロダクト開発力も上がるだろう。まさにWin-Winだ。

  1. 自分のタスクとメンバーのタスクの調整力が上がる
    • コミットスピード&量が上がる
      • キャッシュインが増える
  2. 想いを伝える力が上がる
    • プレゼン力の向上
      • 受注案件が増える
        • キャッシュインが増える
  3. リクルーティング力の向上
    • キャッシュインが増える

最後に

なかなかちゃんと伝える機会もなくて、いつも申し訳ないと思っていることがあります。それは感謝です。みなさん、いつもありがとうございます。これからもよろしくお願いします。

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