トラウマだったはずなのに歳を取るといつの間に乗り越えていた件

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 トラウマについて考えてみた。

心的外傷(しんてきがいしょう、英語:psychological traumaトラウマ)とは、外的内的要因による衝撃的な肉体的、精神的な衝撃を受けた事で、長い間それにとらわれてしまう状態で、また否定的な影響を持っていることを指す。特定の症状を呈し、持続的に著しい苦痛を伴えば、心的外傷後ストレス障害PTSD)ともなりえる。

 心的外傷 - Wikipediaより

確かに人生それなりに生きてきてると、肉体的&精神的に2度と経験したくないようなこともある。また、若気の至り?なのか、それらをトラウマだと自分から言っていたこともあると思われる。でも、気がつくと似たような地雷的人生経験を繰り返していて、似たような失敗もしている。そしていつしかそれらはトラウマではない何かになっていた。

僕がプログラミングの仕事を始めたのは2000年の1月から。大阪の叔父の会社に入れてもらって最初の現場だった。大手SIerのパートナーだけど、やることは下請けor孫請け。猫も杓子もJavaと皆が口を揃えていた時期だった。だいたい、そう言われた頃にはもう遅いと思うけど…僕はプログラミングのプの字も知らないまま本を買って勉強した。

データ型?オブジェクト指向

 一通り勉強した内容を身につけてからにして欲しかったけど、社長(叔父)は子ライオンを崖から蹴り落とすのだった。

例の案件?えぇ、遅れてますけど大丈夫ですよ!ウチからJava歴5年のエキスパートを送り出しますから!

と電話で話していた社長。きっとお客さんか大手SIerが電話の相手だろう。僕は

へぇ、ウチにそんなJavaのエキスパートがいたんだぁ。色々話を聞いてみたいな。

と心の中で思っていた。ちなみに社内にJava経験のある人はいなくて、VB6かCOBOL使いしかいなかった。そして、そのエキスパートというのが自分であるということを後で知るのであった。

Java歴5年のエキスパートのときふじさんです。

そう言われてプロジェクトメンバーに紹介されたのは某タイヤメーカーの大手。紹介した大手SIerのPMを僕は二度見した。

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間髪入れずに現場からは

おおおお!!(待ってました)

と拍手で迎え入れられた。その夜、歓迎会まで開かれた。社長から

プログラミング初心者であるということを悟られないように。それと、現場の人に質問はNG。

と更に蹴落とされていたので、主役なのに黙って静かに振舞った。

言うまでもなく、こんなメッキよりも薄いアレは3日後には剥がれて、現場でもかなりキマヅイ雰囲気のまま、1年のプロジェクトを全うした。というか現場の人に言われるがままにやっただけだ。マネージメントもクソもない。エキスパートで巻き返しを期待されていたのに、飛んだ糞虫が入ってきてさぞ現場も迷惑だっただろうなと自分でも思った。そして、そのプロジェクトメンバーとはそれ以来接触はない。当然だけど…

これがいわゆるトラウマとなり、以来Java恐怖症になった。その後はひたすらCOBOLを書く案件に入れられ続けた。社長としては

Java案件ってどうなんだ?美味いのか?

を知りたかっただけのようだが、どうやら

Java案件は美味くないな

という結論らしい。でもそれ、僕じゃなかったら美味かったかもよ?そんな会社にも6年くらい務め上げ、プロジェクトを任せられるくらいにまで成長したりして、体調を壊して退職した。まだ36協定もなくて「ブラック企業」という言葉もなかったあの頃。僕は椅子を並べてベッドを作って会社で寝るスキルを会得していたのだった…(だからなんやねん)

退職後はたまたま東京から山口にIターンしていた両親の元に嫁と引っ越し、田舎でビューティフル・カントリー・ライフというヤツをしばらく満喫して、地元の海運会社に就職した。その会社にも6年間務めたが、間を見てウェブプログラミングとかインフラ構築とかを勉強し続けていた。というか、それをやらせてもらえることを条件に入った会社だった。自習は趣味みたいなもので、前の会社でも(ブラックながらも)休憩時間や夜中に時間を見つけては勉強していた。インターネットが最高に楽しかった時代だった。(今でも楽しいけど)

Javaだって立派なウェブプログラミングだということを思い出すこともなく、日々遊びながらPerlとかPHPとかで誰かが書いたソースを見ながらなるほど、あーなのか、こーなのかとか思いながら、そして、もしかしたらこれをこーしたらアレみたいなことができるんじゃないのか?とか…(OpenPNEmixiとか)

海運会社もIT系の仕事じゃなかったので6年もやってると

そろそろIT系に戻りたいな 

と思うようになった。

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海運の仕事は技術的に盗むということがとても困難で、ネット上に情報がなく、書籍で勉強しようにも1冊数十万円といういかにも一見さんお断りなノウハウばかりで勉強したいという気持ちが萎えてしまっていた。勿論、金銭的にそれを買うことが叶えば買って勉強していたかもしれない。でも、どうしても「面白い」と感じまでに至らなかった。それに気付いて動き出すまでにかなり時間がかかってしまったと思い反省はしている。転職を考えるにはギリギリな年齢だったし…それと、会社の非IT系のBBAどもの相手をしているのにいい加減疲れたというのが正直なところだ。それに色々とイザコザもあり、丁度潮時だったのだと思う。

そして今の会社に入れてもらった。最終面接の時に

何か開発の経験ある?あるんだ?オッケーオッケー

と言われた。多分、そういうことなんだろう。つまりどの言語でとかじゃなくて、開発経験があるか?あとはお作法とかの問題だと。

多分、今ならなんの抵抗もなく(ってほどでもないんだろうけど)Javaで書いてって言われても大丈夫なんだろうなと思う。気がつけば経験がトラウマをカバーしている。それはトラウマじゃなかったのかもよ?と言われるとそれまでだけど、ある程度のトラウマは経験などで乗り越えられるということだと思う。勿論、若いころのトラウマなんてあの程度っていうくらいのトラウマもまだあるんだけど…

あ…昼に食べた「プレミアム牛めし」があたったかも…トラウマになりませんように…

トラウマ後 成長と回復: 心の傷を超えるための6つのステップ (筑摩選書)

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